いじめによる報道について

      2021/03/19

ここ何日か、悲しい出来事が、

ニュースとして報道されていますね。

 

今日は、学校長の自殺や、いじめに関連する自殺の報道。

 

個人的な感想として、

 

報道規制をかけるべきだと思います。

 

もちろん、実際に起こっていることですし、

 

報道し、社会に訴えかける必要もあると思います。

 

しかし、オイラ自身が、

 

「いじめられた経験」

 

があり、自殺しようとしたこともあります。

 

小学校、中学校と続いていて、

 

精神的に非常に苦痛でした。

 

言葉では伝えきれないほど、つらいです。

 

昨今の報道から受け取られる可能性があることとして、

 

いじめられた側では、

 

「仕返しとして、自殺を選択し、

 

報道されることを望む」

 

のではないかと思います。

 

いじめられている状態は、

 

周りにもうまくメッセージを伝えられず、

 

いじめられている人と付き合わないようにする

 

空気が出来上がってしまっています。

 

学校の先生は、なんの当てにもなりません。

 

自分のクラスで「いじめ」が起きていることを

 

直視したくない、または、向き合えない先生が多いからです。

 

(※すべての先生が対象ではありません)

 

また、社会人経験がなく、

 

一人の人間として、幼すぎる場合もあると思います。

 

そして、「いじめ」は、

 

先生個人の今後の昇進にもかかわりますし、

 

周りの目線も、気になるはずです。

 

そう、一番簡単な方法は、

 

「見ていないこと、知らなかったこと、気づかなかったこと」

 

いずれかにしておこうと、自分勝手な理由を用意しておくのです。

 

しかし、一教師として、

 

本当に正しいのかどうか、

 

生徒に対して、

 

向き合わなければならないのでは、

 

という葛藤はあるはずです。

 

もし、なければ教師としては失格。

 

話が、またそれてしまった。

 

いじめられている本人としては、

 

精神的に、

 

どん底まで落ち込んでいます。

 

「この世にいなくていい」

 

と思う場合が多いのではないでしょうか。

 

オイラはそう思ったことがたくさんありました。

 

毎日、毎日、1分1秒、常に辛いのです。

 

学校へ行くことも、

 

人と接することも。

 

すべてにおいて。

 

家に帰って寝る前にでも、

 

一日にあったことを、

 

「嫌でも」思い出してしまうのです。

 

なぜかというと、

 

心の深いところまで、

 

突き刺さるような、

 

「いじめ」を受けているからです。

 

どん底の、本当に深いところまで行ってしまうと、

 

早く、簡単に、

 

自分が

 

「楽に」

 

なるかを考え始めます。

 

それは、一番悲しいことに行き着きます。

 

さらに、全国の同じように

 

「いじめ」を

 

受けている人が最終的にどのような行動をとったかが、

 

子供に身近な

 

「テレビ」

 

から簡単に情報が手に入ってしまうのです。

 

そのとき、小さな、マイナスの「勇気」がついてしまうと思うのです。

 

「そうか、そうすればいいのか」

 

と。

 

止めなければならないのです。

 

学校が商業化し、

 

生徒を過保護にした結果、

 

親があまりにも、

 

自己中心となり、

 

何かあれば、

 

すべて学校の責任にする

 

傾向があるのではないだろうか。

 

本来、最低限の教育は、

 

「親」が

 

することであって、

 

学校ですべて教えてくれるものでは無いと思う。

 

違うかな。

 

いじめるほうも、何らかの理由はあるはず。

 

親が向き合ってくれないから、

 

何か特別なことをして、

 

周りのひとから目を向けて欲しいというメッセージだったり、

 

家庭での不満や、

 

昨今でいうと、ドメスティックバイオレンスなど。

 

ある意味でいうと、

 

どちらも被害者ではないだろうか。

 

子供と向き合うときは、

 

面と向かって、

 

見下すようなことをせず、

 

「こうあるべきなんだよ」と

 

教えて、

 

時には、「何も言わず」

 

抱きしめてあげることも必要だと思う。

 

きっと、精神的な安らぎが生まれるはず。

 

さびしいんだよ。

 

忙しない世の中で、

 

育っていて、

 

見た目以上に、

 

心はコドモなのではないかな。

 

ここで、コドモの心に入ることが出来るのは、

 

 

であるのだと思う。

 

責任がどうこうと言う前に、

 

コドモとの接し方を、

 

今一度、見直す必要があるのではないだろうか。

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